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新しいことを始める前に – 両足の裏の米粒をとってすっきり


   Jul 14

新しいことを始める前に – 両足の裏の米粒をとってすっきり

久しぶりの更新です。

今日の話題は、↓

「茶碗」 。

これから新しいことを始める前に、心に留めておこうと思ったことです。



まずは、最近読み返した本からの引用です。

ジャンルは、ゴルフの本で「また、ゴルフかよ」ですが、そうおっしゃらずにおつきあいくださいぃ!

(以下、日本語版から引用)

「若者は禅に関して探し得る著書をすべて読破した。そして、偉大な禅師のことを聞いて、教えを乞うために面会を求めた。二人が座ると、若者は禅についてこれまでに読んで理解したことのすべてを師に伝え、禅の本質について、得意げにひとしきり蘊蓄を傾けた。


ばらくたつと、禅師はお茶にしようと言った。禅師が湯を沸かす間、若者は姿勢を正して座り、茶碗を差し出されると無言で深々と礼をした。禅師は若者の目の
前の茶碗に茶を注ぎ始めた。茶碗が一杯になるまでなみなみと注ぎ、それでも止めずに注ぎ続けた。茶は茶碗の縁から溢れ、飯台の上にこぼれた。それでも、手
を休めずに注ぎ続けたため、茶は飯台伝いに畳にこぼれ落ちた。ついに、若者は我慢ができなくなって叫んだ。

「先生、お茶を注ぐのをお止め下さい!
茶碗はもう一杯で、これ以上注ぐのはむりです」

そこで禅師は手を休めて、若者にこう言ったのだった。

「お前の心は、この茶碗と同じようなもので、身勝手な意見や先入観で一杯である。最初に茶碗を空にしないで、何か学べるとでも思っているのか」

 話のポイントは、学習者には4つのパターンがあり、この茶碗に例えるなら、このようになります:

茶碗1: 伏せてある
茶碗2: きちんと上を向いて置いてあるが、底に穴が開いている
茶碗3: きちんと上を向いていて、底穴はない。だが、内側に汚れがこびりついている。
茶碗4: きちんと上を向いていて、穴はなく、汚れていないから、新しいことを進んで知ろうとする

茶碗1は、新しいことに聞く耳をもたず、関心を示さず、自分の世界に閉じこもって切磋琢磨したり、向上しようという意欲がない学習者。

次は、聞いているフリをして、言葉が左耳から右耳へ素通りしている学習者。

3番目は、学習意欲はあるものの、自信過剰だったり、固定観念、先入観が混じっていて、せっかくの新しいこと(知識、技術、経験など)を素直に吸収できない学習者。せっかくの機会がもったえない。

最後の4つ目の茶碗は、理想的な学習者。新しいことをスポンジのように吸収して、どんどん成長します。

実は大学院に入学したころは、頭の中は日本で蓄えた知識や先入観で一杯、何も新しいものが入り込む余地がありませんでした。まさしく、引用分の中の若者のような状態。また、茶碗3のように、汚れがこびりついていて、せっかくの新しい知識や経験もピュアに受け止められず、歪んでいたり、不正確な理解にとどまっていることが多かったように思います。

というのに気がついて、ようやく卒業ができたように思います :)

これから人生の第2四半期が始まり、新しいことを始めるはずですが、今度はしっかり自分の茶碗を空っぽにして望みたいと思います。

右足の裏の米粒 (Ph.D.) にひきつづいて、先日「長い間、左足の裏にひっついていた米粒」がとれたので、頭の中はすっきりです。

From SEI’s INSIGHT@スタンフォード大学・シリコンバレー

出典

禅ゴルフ―メンタル・ゲームをマスターする法 ~ ジョセフ ペアレント
 

Zen Golf: Mastering the Mental Game ~ Joseph Parent
 

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